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もっと!もっと! 縦横無尽

福島県の小学校教員 なおたかの以前のブログです。

新しいブログは こちらです。

2013-09-08

子供の見方。

| 00:22

子供を見る時に,「瞬間」だけを見ないように気を付けています。


例えば,「A君が,ゴミを床に捨てた」様子を見たとします。


その時,何も考えずにいると,

「こら!お前,ゴミを捨てるな!」

とか

「ちょっと,A君,何してるの!!!」

なんて反射的に声を荒げてしまいがち。

その瞬間だけを見れば,怒って当然のことにも思えます。

でも,本当に「A君が,ゴミを床に捨てた」ことは注意すべきことなのでしょうか。

もしかしたら,A君は無意識にゴミを落としたけれど,それに気付いて,また拾おうと思っているかもしれません。

めちゃくちゃ嫌なことがあって,でも,我慢に我慢を重ねて,それでも耐えきれず思わず机上のプリントを丸めて捨てたのかもしれません。

体調が悪くて,取り落としたのかもしれません。

ゴミを拾おうとしたところを,教師が見間違えたのかもしれません。

色々なことを考えると,「怒る」という行動が当然のものとは思えなくなってきます。


子供の行動を評価するためには,「現在」のその「瞬間」だけではなく,その前のこと,その後のこと,つまり「過去」や「未来」との繋がりを見る必要があるのではないでしょうか。

それをせずに,瞬間だけを切り取って評価する行為は,「この子は良い子・この子は悪い子」というレッテル貼りに陥る危険性を感じます。そういうある種の「思い込み」がないと,瞬間的な判断は難しいでしょうから。


勉強だってそうですよね。

同じ「80点」でも,その子の以前のテストが60点なのか100点なのかで,かけるべき言葉は変わります。また,100点の子が80点に下がったからといっても,その後の努力で「価値のある失敗」にすることだって可能です。

だから,人を叱ることや褒めることって本当に難しい。その子の過去を想像し,未来を思い描いて,長いスパンで見ることが必要です。


けれど,わたしはスーパーマンではありません。だから,長いスパンで見ようとしても見誤ります。声のかけ時を逸すことも山ほどあります。

やっぱり「悪いこと」をすれば注意べきだ!と叱っては失敗し,

じゃあ,様子を見ようと待ち過ぎて,集団を緩ませる・・・。

そんなことの繰り返しです。


それを防ぐために大切なのは子供達を「集団」として見ること,そして,「途中経過」ではなく「結果」を評価することだというのが,わたしの考えです。これ,大切です。

途中で口出しするなら,「期待」と「嫌味」程度。

例えば。教室はきれいな状態を保つべし!というミッションを課したら,「きれいか否か」を見て評価します。授業では「結果が出ているかどうか」を大切にします。

個々の動きは追いません。ましてや「気になる子」をいじくるような行為は御法度です。

とは言っても,黙って見ているわけではありません。「このままじゃ,まずいな」という時には,「本当に大丈夫?本当に?俺は心配だけど」と集団全体にチクリと刺すくらいのことは必要です。「良い感じだな」と言う時には,「結果を楽しみにしているよ」「期待しているよ」とワクワクしていればいいのです。


けどねえ,どうしても余計なことを言ってしまうのですよね。

どうしても,個を見たくなるし,見たら口出ししたくなります。

また,他者とのしがらみ(校内で統一する必要がある場合など)で途中経過を見なくてはいけないこともあります。

そんな時はせめて,瞬間だけを見てその子を判断するようなことはやめるべきです。

中には,「一瞬で判断できるのが,腕のある教師だ」と言う人もいるでしょう。わたしだって,瞬間的に判断して当たることもあります。けれど,瞬間では絶対に分からない子がいるのです。そういう「相性」の悪い子が,どんな教師にも絶対にいるでしょう!?。どんなに「腕に覚えがある教師」でも,知らぬ間に一部の子を苦しめています。万人にフィットする教師はいません。

瞬間的な判断を良しとするかどうかは,腕の有る無しで決まるものじゃあないのです。そのせいで苦しんでいる子供の存在を想像できるか否か,です。想像できない人は,瞬間的な判断を繰り返し,自分の判断の正しさを誇示するのでしょう。そして,「自分と相性の悪い子」は「駄目な子」だと無意識のうちに決めているのです。無意識だから,指摘しても「そんなことはしてません」と言うでしょうけれど。


あれ?まろやかな中身にしようと思っていたのに,ちょっと棘のある物言いになってしまいました。この辺にしておきます。

2013-09-02

声を聞く

| 23:05

とんたんさんも以前から言っていますが,教師にとって「耳」はとても大切だなあと思います。子供達の声のトーンで,学級の状況がある程度つかめるからです。


「キャー」とか「ギャー」といった甲高い声が聞こえてきたら,その学級は「警戒している」状態かなあと,わたしは考えます。

子供同士が,お互いを探り合っているような。形だけの友達関係がはびこっているような。

そんな状態です。

教師の影響力が及ばないところで,子供同士はちょっとした緊張関係を抱えて生活しています。

日本猿も,敵が近づいてきたら,甲高い警戒音を出します。(「クヮン」と表現されることが多いようです)甲高い声は,警戒の声なのです。

子供達は安心を求めています。

そんな声が聞こえたら

「うるさい!」「静かに!」

と言う前に,

「どうしたの?何があったの?」

と聞いてあげるようにしています。


これよりもっと深刻なのは,「アー」とか「オー」といったちょっと低めの唸り声が聞こえてくる学級です。

これは「威嚇」の声です。猿も敵を威嚇する時には,こういった声を出します。

「やられたら,やり返す」「やらなきゃ,やられる」そういう状態です。

周囲を威嚇する子は,自分が攻撃されそうだという不安を抱えています。不安だから,威嚇するのです。不安なのは,攻撃された経験があったり,攻撃された級友を目撃したりしているからです。

こうなってくると,もう一度安心感を取り戻すのはなかなか大変です。

そんな声を出している子を見かけたら,

「大丈夫?」「来るのが遅くなってごめんな」「俺は味方になるよ」

そんな風に声をかけるようにしています。


これは,わたしの言語に関する浅い知識と教師経験を無理やり結びつけただけですが,でも,そんなに外れてはいないと思っています。


声のトーンを聞けば,学級の様子が目に浮かぶのです。

声のトーンを聞いているだけで,良い学級だなあと幸せになったり,このクラスは大丈夫だろうかと苦しくなったりします。


ウチの子供達は,こういうことがよく分かっています。

こういった警戒音や威嚇音を「猿声」と呼んでいます。

自分達のクラスに,ちょっとでも猿声が響いたら,敏感に感じ取ります。(感じ取る子がいます)

だから,崩れる前に修復ができるのです。


調子の良い時の声は,本当に心地よい響きです。

残念ながら,今日はホンノちょっとだけ声のトーンが高めでした。振り返りジャーナルを読むと「ちょっと調子が悪かった」という子が大多数でした。(絶好調でしたよ!という子もいましたが。)

ちゃんと分かっている子達なので,きっと明日は調子を上げてくるでしょう。


若い先生方には,子供達を理解しようとあれもこれもとやる前に,一度,子供達の声のトーンを感じ取ってもらいたいなあと思います。

2013-08-06

教師の在り方とフロー

| 14:16

『学び合い』フォーラムの2日目には,スポーツドクター・辻秀一先生の講演がありました。

めちゃくちゃ勉強になる話を聞くことができて,とても一言ではまとめられません。最近は,教育関係よりも,他のジャンルの書籍や講演から刺激を受けることが増えています。


辻先生の話の中で,特に印象的だったのは

「自分の感情や自分のことについて考えていると,人間は機嫌がよく(フロー状態に)なる。

 自分の環境や他人について考えていると,それにとらわれて機嫌が悪く(ノン・フロー状態に)なる。」

という話です。


これが,わたしが最近考えていることにピタリとハマりました。

それは,「教師としての在り方が定まっている人といない人で,なぜ教室の様子が変わるのか」ということです。


わたしは,教師という仕事が好きです。

子ども達が主体的に学んでいる学級が好きです。

規律のあるピシッとしたクラスより,多少混沌としていても,笑顔があふれるクラスの方が好きです。

真の意味で楽しい学級なら,人間はモラルを守って行動するようになると思っています。だから,質の高い楽しさが溢れる教室を目指しています。

勉強も好きです。国語や算数,図工や体育という教科の学習自体も好きですが,何より勉強を通して成長することが好きです。自分が成長することも好きですし,子ども達が成長する姿を見ることがめちゃくちゃ好きです。

だから,そういうことを考えていると,どんどんフロー状態になっていくのは当たり前だということが,辻先生のお話で分かりました。

つまり,「こういうクラスにしたい!」という教師の信念が定まっていればいるほど,そのことを考えるのですから,教師が機嫌よく仕事を楽しむことができるというわけです。そういう「在り方」の先生なら,子ども達も着いて来てくれますよね。


一方,信念が定まっていない場合は,色々な人の話を聞いて,色々なことを迷います。

自分が好きなことを考えるのではなく,「○○先生はこう言っていた」とか「こんなことをしたら,○○先生の言うことと違うな」とか「どう評価されるのかな」というように「他人」のことを考えることになるのです。

そうなると,人間はノン・フロー状態(機嫌が悪い状態)のなるのは,辻先生のお話の通り。

「自分は,教師としてこれを大切にしよう!」という在り方が定まっていないと,考え過ぎるが故に,最終的には考えることに疲れ何も考えられなくなっていくのかもしれません。(辻先生の「心の空洞化」という表現が心に残っています。そういう方,多いと思います。「何も考えられない」「何も聞きたくない」という状態になっていくでしょうね。)

そうなったら,子ども達が着いてきてくれるはずもなく。

崩壊していく様子が目に浮かびます。ああ…。


繰り返しになりますが。

教師として目指すところが定まっていれば,そこを目指して仕事をすればするほど,楽しくなるのです。だからこそ,目指すところ・自分の好きなところを目指して,信念をもって仕事をすることができます。好循環が生まれます。

それを生む一番の源が「教師の在り方」です。

在り方はいろいろです。

だからこそ,それを見つけ,磨くことは難しい!


何回も書いているし,こういうことを書くと「いいね!」が少ないのですが(笑),

夏休みに一生懸命に勉強している若い先生が,早く自分が目指すものを見定めて,信念を持って磨いて欲しいと思います。

フロー状態で仕事をするのは,本当に楽しいですから!「教師最高!」です。