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もっと!もっと! 縦横無尽

福島県の小学校教員 なおたかの以前のブログです。

新しいブログは こちらです。

2013-01-26

助け合い型から持続向上型に切り替えよう!

| 15:38

さて、助け合うことが目標の『学び合い』と、それぞれが成長していくことが目標の『学び合い』の違いについて、わたしなりに考えてきました。コメント欄やFBを通して感想やご意見を寄せて下さった皆様、ありがとうございます。こうやって反応していただけると、非常に嬉しいです。


中には「わたしは“助け合い型”です」という方もいらっしゃいました。もしかすると、わたしが想像している以上に、助け合うことが目的になってしまい、苦しさを感じている方が多いのかもしれませんね。

じゃあ、助け合い型から持続向上型に切り替えるタイミングはいつなんでしょう。

これまた結論から言うと、いつでも良いと思います。というか、本当は「助け合い型」も「持続向上型」も、子どもにとっては区別はないのです。

その違いはあくまで、教師が課すミッションが「助け合うこと」なのか「学び続け、成長していくこと」なのか。その違いに過ぎません。


「助け合うこと」は簡単なんです。

と言うか「助け合っているふり・仲の良いふり」が簡単なのです。だから、助け合い型『学び合い』では、子ども達の「助け合っているふり」(とは言っても、子ども達はそんなつもりはないでしょうけれど)が徐々に増え、学級が停滞していくことになります。

でも、「学んでいるふり・成長しているふり」は、比較的簡単に教師が見抜くことができます。例えば、テスト。それだけで「分かったかどうか」は見抜けますから。


ちなみに、わたしは一度、「助け合うこと」を求めていながら「テスト」で評価をしようとして、失敗したことがあります。

助け合うことを求めたら、テストの点数が伸びる。とその時は思っていたのです。

違いますよね。テストの点数を本気で伸ばそうと努力したら、自然と助け合う。そういうもんです。


テスト以外にも、子ども達の「学んでいるふり」を見抜く必要があります。というか、そんなに毎日毎日、テストばっかりしていられませんからね。

子ども達の学習を把握する。そういう目を持つことって、授業をする上でとっても必要です。

詳しくは、文章にしにくいので、夏のフォーラムででもしゃべるつもりでいます。

一言で言うと、

・森を見て、木を知る。


ということ。学級の全体を見ていると、個々の様子がぼんやりと感じられるのです。


さあ、皆さんも、「助け合うこと」ではなく、「学び続け、成長し続けていくこと」を求めてはどうでしょうか。

「一人も見捨てない」とはどういうことか、もう一度、考えてみて下さい。



これで、一旦、わたしが『学び合い』のことを書くのはお休みにしたいと思います。

夏のフォーラムが近づいた頃にでも、また書きますので、よろしくお願いします。

しばらくは、自分の実践と、『学び合い』に限らず、もう少し幅広いことを書いていくつもりです。

2013-01-19

持続向上型『学び合い』のススメ その3

| 00:41

お待たせしました。「その3」です!今回は「授業観」です。



3 持続向上型『学び合い』に必要な「授業観」


『学び合い』の授業観は,「教師の仕事は、目標の設定、評価、環境の整備で、教授(子どもから見れば学習)は子どもに任せるべきだ」というものです。これも、その通りだと思います。さて,『学び合い』が持続し,クラスを向上させていくには,

1 目標設定

2 評価

3 環境の整備

をどうすればよいのでしょうか。具体的なことを書くと、いくら買いても終わらないと思いますので、今日は大まかなことを書きたいと思います。


・課題を出すのは教師。でも、問いを持つのは児童。

まずは目標の設定についてです。

『学び合い』は児童の主体性を大切にする考え方ですが、なぜ、目標の設定は教師が行わなければならないのでしょうか。何を勉強するかも子ども達が考えてはいけないのでしょうか。

その答えは、「子ども達が考えてもいいけれど、でも、駄目」です。

意味不明ですね。

というのは、集団がパワーを持つには、管理者(教室では教師)からミッションを課せられなければいけないのです。管理者から「これを成し遂げなさい」という課題が出され、その課題解決に向けて動く中で、集団の結びつきがだんだんと強固なものへと変わっていきます。

だから、教師が「これを成し遂げよ!」という課題を与えなければ、集団は「仲間」にならず「烏合の衆」で終わってしまいます。また、その課題が簡単すぎても、結びつきは強まりません。一致団結しなくても、解決できちゃうからです。

そうなると、「学習課題を考えよ」というミッションを課せば、考えさせてもいいのですが、ちゃんと評価しなければいけません。

わたしは、課題にはこだわりはないので、子ども達には考えさせていません。その方が効率よく授業が進みますし。



じゃあ、子どもの主体性はどうでもいいのでしょうか。

いやいや、そんなことはありません。目標は教師が設定しますが、子ども達の主体性はちゃんと発揮されます。

どこかと言うと。

課題解決の過程で、子ども達はたくさんの「問い」を持ちます。

「どうやれば、解決できるかな」「こっちはどうなのだろう」「これって、こういうことかな」

そういう問いは、教師が「引き出そう」として引き出せるものではありません。自然発生的なものです。教師は、その発生と解決の過程に積極的に関与すべきではありません。それが「学習は子どもに任せる」ということだし、そこに主体性があるのだと思います。

ただし、そういった問いも、解決への動きも、教師が目標を設定するからこそ生まれるということは忘れてはいけないと思います。

何もせずに放っておいて、勝手に勉強するなんてことではありません。



・「学級目標」は教師の思いの現れ(子どもの思いではない)

学級目標も同じです。「子ども達が考えてもいいけれど、でも、駄目」です。

学級目標というものは「教師の思いの現れ」なのです。子どもの思いではありません。なぜなら、子ども達は、その学年の終わりを経験したことがないのですから、どこを目指すのかを「子ども任せ」にしても、その目標が適切かどうか、判断することはできません。

子ども任せの結果、どんな姿を目指すのかが曖昧な学級目標になってしまうことってありませんか。教師の思いが注入されていない状態で子ども任せにすると、そうなるのだと思います。


・失敗は成功のもと。とは言うが、本当にそうなっているか。=本当の評価って何だろう

古田さんがよく「目的は“まと”,目標は“しるべ”」ということをおっしゃていますよね。これは「なるほど!」と思いました。非常に分かりやすい。

買い物で例えてみましょう。

「スーパーに買い物に行きます。目的はカレーの材料を買うこと。目標は、1500円以内に納めること」

この場合、カレー粉を買い忘れてしまったら、目的を達成したことにはなりません。買い物は「失敗」です。

でも、金額が1550円だったとしたらどうでしょう。それは「失敗」でしょうか。

わたしはそうは思いません。

「今日は良い肉にしすぎたのかもしれない。次はチキンで我慢だ」

そう振り返り、反省し、次に生かすことが重要です。そして、その振り返り=自己評価が適切かどうかを判断するのが教師の評価の重要な役割のように感じます。例えば、こんな風に。

「本当にそうかな。タマネギが家にあったのに買ってしまったんだよ。反省すべきは、そこじゃない?どうすべきだったのか考えてごらん」


カレーじゃ分かりにくいですね。

授業で言えば……。

「よし!それでいいんだ」と背中を押すこと。

「本当にそうかい?」と足を止めさせること。

「それでは駄目だ」と方向転換させること。

「いける!もっとだ!」と要求すること。

そんな教師の思いを伝えることが、日々の授業の中で必要と成る「評価」のように感じています。

そういう評価があってこそ、子ども達は、失敗を生かしながら学ぶことができるのです。

あとは、こちらも読んで頂けると嬉しいです。

http://manabitudukeru.g.hatena.ne.jp/nao_taka/20121231


・単元レベルで授業をデザインしよう。

「失敗を生かせる授業」に必要なのは、「繰り返し」学べることです。

「もう一度!」というチャンスがなければ、失敗は生かせません。

その究極の一つはとんたん式算数だと思いますが、あの授業が出来るくらいなら、こんなブログは読んでいないでしょうから、もっと現実的な方法を。

それは、「単元のレベルで授業をデザインする」ということです。

「この時間は何をやろうかな」ではなく「この単元では何をやろうかな」というレベルで授業を考えてみて下さい。

それだけで、授業は大きく変わります。

詳しく書くと、とてつもなく長くなるので、とりあえずこれくらいで止めておきます。

ちなみに、わたしが月に1回やっている学習会では、次回はこのネタを扱う予定です。福島県相馬市近辺にお住まいの方、次回は1月30日(水)ですので、興味があったらメール下さい。(って、居ないでしょうけれどね)


「環境の整備」で大切なのは、失敗を次ぎに生かせることだと、わたしは考えています。


・全員ができるなんて授業は、大したことない。

助け合い型『学び合い』の時期には、「1時間で全員ができる」という授業は有効だと思います。それは、クラスの中に「俺なんて誰にも助けてもらえないもん」と感じている子がいるからです。そういう子を救う、というミッションも大切です。

自分も集団の一員だ!このクラスは、この先生は、仲間はずれを良しとしないのだ!という安心感は集団には必要です。

でも、1時間の中で全員ができるような課題は、レベルが低いのです。そういう課題がずっと続けば、勉強の得意な子が本気を出さなくなります。そうなると、学級全体の学習が緩みます。

だから、単元のレベルで考えて下さい。

とは言っても、「単元の終わりにみんなができる」という課題にするわけじゃありませんよ。

躓いたり転んだりしながらも前に進んできた子ども達に、「よし!よくここまで努力できたね。次は、もっといけるよ!」と認めつつ、もっと高い要求をするには、単元のレベルで授業を組み立てていくのです。『学び合い』でよく言う「単元を預ける」というのともちょっと違います。

うーん、どうしても抽象的になってしまいますね。

具体的なことは、今後、ちょこちょこと書いていきます。

あ!可能なら、8月の『学び合い』フォーラムで話せるかもしれませんね。

furu-tfuru-t2013/01/19 09:36>「よし!それでいいんだ」と背中を押すこと。
「本当にそうかい?」と足を止めさせること。
「それでは駄目だ」と方向転換させること。
「いける!もっとだ!」と要求すること。

このへんの分析。
さすがだと思いました。

nao_takanao_taka2013/01/19 16:59この辺りの言葉掛けは、古田さんの影響が大きいですよ。
タイプ的に「熱め」なのは共通してますからね。

e_chigoyae_chigoya2013/01/20 00:39素晴らしい記事をありがとうございます。読んでいて、とても嬉しくなります。的確な言語化の力が羨ましいくらいです。
課題と問いの違い、評価、単元レベル、まったく同感です。僕も言語化しなければいけないな、と思いました。フォーラムが待ち遠しいです。

furu-tfuru-t2013/01/20 07:01協同学習のおいて、教師の言葉は「命」だもんね。
その言葉にいかにして「魂」を吹き込むか?
ここはもっときちんと体系化していきたいね。
一緒にがんばろう!

nao_takanao_taka2013/01/20 21:27越後屋さんにそう言って頂き、嬉しい限りです。
でも、まだまだ言語化できないことばかりです。もっともっと、短くまとめたいなあと思っています。
夏のフォーラムでは、語り倒したいなあと思っています。


furu-tさん、そうだね。言葉の大切さを日々痛感しています。
『学び合い』に関することを一通り書いたら、次はもう少し授業一般のことに切り込むつもりだよ。
頑張ろう!

2013-01-15

持続向上型『学び合い』のススメ その2

| 16:49



「学び続ける子どもの会」は『学び合い』とは全く別物なのに,『学び合い』のことばっかり書いて,ごめんね,古田さん。


さてさて,今日は,その2.

2 持続向上型『学び合い』に必要な「学校観」

です。


・学校は勉強するところだ!

『学び合い』の学校観は「学校は人との関わりを通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の仲間であることを学ぶ場」というものです。

これを「人と関わることが重要なんだから,学習内容は何でもいいのだ」と捉えると,うまくいきません。そうなると,関わっていれば何でもアリ,おしゃべりだってケンカだってなんだってオッケーと勘違いする子が絶対に出てきます。

助け合い型『学び合い』が段々と崩れていくのは,「学ぶこと=成長すること」よりも「助けること=関わること」が優先されているからです。「わたしだって成長したい!」という学校生活において王道の思いを持っている子が「でも,自分だけ成長すればいいなんて,我が儘だ」なんていう評価を下されてしまうおそれまであるのです。

学校は「勉強する場」です。

人との関わりは,勉強を通して行われるべきです。

なぜ,人との関わりは,勉強を通して行われるべきなのでしょうか。

それは,以下の3つから「絶対的」なものだとわたしは考えています。

1.学校で過ごす時間の大半が,勉強の時間である。

2.世の中(児童自身,保護者,そして企業など)のニーズの大勢を占める。

3.何といっても「義務教育」。教育基本法,学校教育法,学習指導要領等を読みましょう。そりゃあ,細かい所では「うーん…」というところもないわけではありませんが,でも,大筋では賛成です。というか,ある程度は賛成できないなら公教育に携わらない方がいいんじゃないかと,個人的には思います。

とうことで,学校は勉強するところです。勉強させましょう!


・一生懸命に学ぶから、仲良くなれるのだということ

助け合い型『学び合い』と持続向上型『学び合い』では,どちらが仲が良くなるでしょう。これは,間違いなく「持続向上型」の勝ちです。

助け合っても仲良くなりません。

目標に向かって一生懸命に努力し続けるから,仲が良くなるのです。

一人ではたどり着けないような高い目標。そこにたどり着きたい。そう本気で思った時に,人間は本能的に「人と関わること」を選ぶのです。学校で言えば,一人ではできないようなレベルの高い勉強をしている時,多くの子ども達は「学び合い」たいと思うのです。その結果として,「その有効性を実感し、より多くの人が自分の仲間であることを学ぶ」ことができるのです。

大切なのは,助け合い,学び合うことではありません。高い目標に向かって,一生懸命に学ぶことです。


・何を勉強するべきなのかを考え、磨いていこう。

そうなると,より高い目標を設定し,子ども達に「もっと!」と求めていくことが必要です。詳しくは,次の「授業観」で書きたいと思います。

furu-tfuru-t2013/01/15 19:29ええのよ。ええのよ。
「言語化」することで見えてくるものがある。
すべては繋がっているのだから♪

nao_takanao_taka2013/01/16 06:20furuさん
ありがとー。
『学び合い』に関わるニーズを探りつつ、「本当に大切なのは何か」をもっと掘り下げていくつもりだよ。