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もっと!もっと! 縦横無尽

福島県の小学校教員 なおたかの以前のブログです。

新しいブログは こちらです。

2014-02-28

学習習慣?

| 18:18


「学習習慣」という言葉をたびたび耳にします。この言葉は、全国共通でしょうか?わたしは、この学習習慣という言葉が、よく分かりません。


習慣というのは、「長い間繰り返し、そうすることが当たり前になったこと」というような意味です。ということは、例えば、

「チャイムがなったら席に着くように繰り返し指導していくと、そのうちに何も声をかけなくても、チャイムを聞いて子供達が自然と席に着くようになる」

というイメージで、「学習習慣を身に付けさせましょう」なんて言い方をすることが多いようです。

パブロフの犬の条件反射のようなイメージ。

他にも「名前を呼ばれたら『はい』と返事をする」「先生の話は黙って聞く」なんてことでも使われます。また、「家庭学習の習慣化」なんて言葉もよく聞きます。


でも、チャイムがなって席に着くのは、「習慣」なのでしょうか。繰り返し指導していく中で、身に付くのでしょうか。


わたしは、早く授業がしたいから席に着くという行動が自然だと思うのです。

また、わたしのクラスの子供達は、他のクラスと比べてしっかりと話を聞いてくれる方だと思いますし、わたしが口を開くと耳を傾けてくれる子が多いですが、わたしの話に価値があると思うから聞いてくれているのです。その証拠に、わたしの話のポイントがずれている時には、聞かない子がどんどん増えていきます。

それを力ずくで聞かせてばかりいると、集団の形が崩れます。それでも無理やり続けていたら、習慣化するんでしょうかね。わたしは、そんな指導はしたくありません。

また、家庭学習だって、その意義を教師が語り、それを感じてくれた子は継続して取り組みます。無理やりやらせ続けていれば、そのうちやるようになる。なんてものではありません。


敢えて習慣という言葉を使うなら、「長期に渡ってそれを継続するだけの意義を感じているからこそ、長く実行することができている」ものが、結果として習慣となる(なったように見える?)のではないでしょうか。

これにしたって、教師がその意義を語るのをやめたら、あっという間に失われてしまうでしょう。


「学習習慣」って何なのでしょう。本当にそんなものあるんでしょうか。

当たり前のように使われている言葉ですが、わたしにはさっぱり分かりません。

2014-02-02

順序がある。

| 00:35

さて、前回は『学び合い』のような児童主体の授業に対しては

「子供達は自分が作っているから満足かもしれないけれど、でも、それではレベルが低いものしかできないだろう。学校で、子供の料理のようなレベルが低い物しか提供できないのでは、学校の意味がない」

という批判があるだろうという話を書きました。


というか、実際に目にしたことも、言われたこともあります(^_^;)


多分、こういうことを仰る方は、自分の専門性を磨いて、「深い授業」を目指している方なのでしょう。

その努力と見識には、頭が下がります。

でも、ちょっと待って欲しいのです。どんなに素晴らしい内容であっても、蚊帳の外で全く参加出来ない子にとっては、意味がありません。児童の中には教師なんて職に就いた幸せ者には全く理解出来ないくらいに傷付いている子が居るのです。

ですから、先ずは、そういう子が参加出来るというのは、物凄く重要な事なのです。


そう言うと、

「全員が参加出来る授業というのは、目標が低かったり、目標自体がなかったりするのだ。だから、『学び合い』はレベルが低いというのだ!」

という批判がくるでしょう。


違うんです。

全員参加が当たり前になったら、次は、授業をよりレベルアップさせていかなくちゃいけないのです。


『学び合い』でよく聞くのが、市販テスト全員80点以上から、全員100点への目標アップ。これは分かり易いと思います。全員100点取る授業って、かなりのモノだと思うんです。わたしは、まだまだ達成できません。


けれども、これは賛否が分かれるかもしれません。わたしは市販テストを否定しないのですが、中には「あんなテストが出来たって、学力と関係ないだろう」という人も居るでしょう。まあ、そりゃあ、学力を測る完璧な方法なんてありませんからね。

そして、そういう事をおっしゃるのは、前述した「専門性を高めて、深い授業を目指している教師」に多いように感じています。実は、わたしもこっち寄りなんです、本当は。


わたしも、点数なんて置いといて、授業を楽しみたいタイプなのです。「深〜い授業」をしたいんです。


ただ、順序があると気付きました。

最終的にどんな授業を目指すかは教師によって違いがあって良いけれど、でも、先ずは「全員が授業に参加出来る状態」にすることは、教師にとって最低限必要な仕事なんだと。

けれども、これが難しい。

「そんな事当たり前だ!」

と簡単に言える人は、超天才教師か、子供達のことをちゃんと見ていないかのどちらかでしょう。

でも、『学び合い』なら(誰でも、とは言いませんが、)可能です。

わたしだって、『学び合い』と出会うまでは、全員が学べる状態にすることは無理でした。


で、その後なんです。

全員が学べる状態になったら、次は深〜い授業を楽しめる!と思うんです。

全員が学べる状態になった上で、次にどんな授業をしていけばいいのか。その具体例となるような授業を作っていきたいと考えています。

それが出来れば、わたしも楽しいし、

「『学び合い』の授業なんてレベルが低い!」

という批判への返答となると思うのです。


ところで、

「子供達が学び合うなんて無理。出来るはずがない」

という批判に対しては、

「ちょっと手伝ってあげると、だんだん上手になりますよ」

という方便が有効な場合が多いですね。

scorpion1104scorpion11042014/02/02 11:35本当に、そうだと思います。全員が学べる状態にするのが特別支援の目的なんですから。そこが、クリアできないから、マンパワーでどの学校も支援員で何とかしている現状です。で、今は何とかなっても将来どうなの?ってところは手つかずだから怖いのです。

nao_takanao_taka2014/02/03 17:47scorpionさん,コメントありがとうございます。
「全員が学べる」というのは,本当に難しいけれど,クリアしなければならないことだと思います。だって,義務教育ですから。教育を受ける権利と,教育を受けさせる義務。これってめちゃくちゃ大切だし,将来のことを考えると,やるべきことをやらなくちゃ!と焦ってしまいます。

お互い頑張りましょう!

2014-02-01

潰れない学校

| 14:17

こんな妄想をしました。

あるレストランの評判がイマイチだとします。

そのレストランでは、お客さんの半数は、食事を残します。中には、

「こんな不味い飯が食えるか!」

なんて言う人もいます。そして、残さず食べている客だって、美味しいと思っている人ばかりではありません。

「だって、食べ物を粗末にしたら悪いから」

「せっかく作ってくれたのに、残したら失礼だから」

「残したら、親に怒られちゃう」

「俺は、この値段なんだから、そんなに美味しい物が出てくるなんて期待していないから平気だよ」

といった感じ。

それに対して、シェフはこう言います。

「ここは客層が悪い」

「前のシェフが広めた悪い評判が、まだ尾を引いている」

「味覚障害の客が多くて、困る。受診を勧めたい」

そして、批判されるとこう言うのです。

「俺は昔からこの味でやってきた。これで文句を言われたことはない」


こんなシェフがいたんじゃ、そのレストランは潰れます。


では、学校だったらどうでしょう。

担任の授業に対して

「こんなつまらない授業受けていられるか!」

という子供がいます。そして、我慢して受けている子供の多くは、

「だって、先生の言うことは聞かなくちゃいけないから」

「きちんと話を聞かないと、先生に失礼だから」

「勉強しないと親に怒られちゃう」

「俺は、最初から、学校の授業が面白ければいいな、なんて期待していないから平気だよ」

といった感じ。

それに対して、もしも、教師がこう言ったら・・・。

「ここは地域性が悪い」

「前の担任の指導が悪くて、まだ尾を引いている」

「発達障害の子供が多くて困る。受診を勧めたい」

そして、批判されるとこう言うのです。

「俺は昔からこの方法でやってきた。これで文句を言われたことはない」


残念ながら、それでも学校は潰れませんし、不幸なことに、子供達は我慢して学校に来なければなりません。それが、嫌ならもう来店しなければ良いレストランとの違いです。(でも、実を言うとわたしは、学校以外の選択肢が世の中にあればいいのに、と思っていますけれど。それはまた、別の話ですね。)


上記のような教員が実在するとは申しませんし、もしも、そういう先生が居ても、わたしは正面きって批判をしようとは思いません。

そう言いたくなる気持ちは、理解できなくはありませんから。わたしだって、『学び合い』に出会えていなかったら、上手くいかない原因を自分以外の何かに求めていたでしょう。

「他者は変えられないが、自分だけは変えられる」という考え方は真だと思いますし、大切なことです。けれども、全てを自分一人で背負おうとしたり、自分を変えすぎて見失ったりしてしまっては、疲弊していくだけですもんね。

「自分のせい」だと言えないのは、無責任だからではなく、責任感が強過ぎてもう背負えないほどの荷物を抱えているせいかもしれないと考えると、人を責める気持ちは消えていきます。

「俺だって、人のこと言えないよな」

と言うのが正直なところです。


レストランで言えば、10割を満足させられる料理はないのです。名シェフなら9割や8割を満足させられるのかもしれません。でも、

「俺には、ここの店は合わないな」

と言う人は絶対にいます。絶対に。だから、

「満足度が100%じゃない!」

という責めは、ブーメランのように自分に返ってくることになるのです。


だから『学び合い』なのです。

子供達を「お客さん」として考えていたら、絶対に「美味しいと思えない子」が出てしまいます。

全員が美味しいと思ってもらうためには、子供達自身がシェフとなって、料理を作るしかないと思うのです。

つまり、子供達自身が主体となって、授業を作るということ。


でも、こういう考え方に対する批判は絶対にあると思います。

典型的かなと思うのは、

「子供達は自分が作っているから満足かもしれないけれど、でも、それではレベルが低いものしかできないだろう。学校で、子供の料理のようなレベルが低い物しか提供できないのでは、学校の意味がない」

というような批判です。

わたしは、それに対する返答となるような教師になりたいなあと思っています。

それが出来なければ、潰れないはずの学校が潰れてしまう日が、間もなくやってくると思うのです。じゃあ、「返答」とはどんなものか。長くなったので、次回に書きたいと思います。