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もっと!もっと! 縦横無尽

福島県の小学校教員 なおたかの以前のブログです。

新しいブログは こちらです。

2014-03-25

結果を求める

| 06:07

管理者としての視点を持つ上で、わたしが心がけていることの第一は「方法ではなく、結果を求める」ということです。

これって、言葉にするのは簡単ですが、実践できるようになるまでは、非常に難しかったなあ!


今考えると、わたしが『学び合い』を始めた当初は、子供達を特定の方法でガチガチに縛っていました。それは、多分、わたしの中に「わたしが求める方法でやれば、結果が出る」という捕らわれがあったからです。ちなみに、今でも自分が一番好きな教科である国語科では、なかなか自分の方法を手放せません。


今のところ、一番手放せているのは、社会科かなと思います。

算数科も、自分が算数をそんなに好きじゃないので、躊躇なく自分の方法を手放せます。

「俺の例示する方法じゃなくてもいいから、結果さえ出してくれればいいよ」

というスタンスで居られるのです。

これが国語科だと

「俺の例示する方法じゃなくてもいいんだけど、ちょっと試してみてよ。悪いこと言わないから。ね?ね?やってみて?」

という感じになってしまうのです。


でも、一度こだわりを捨てることができれば、ある程度の知識を持っている国語科の授業がやっぱりやりやすいし、結果も出させやすいです。なので、今年度のクラスで全員100点を達成できたのが、国語科だったのでしょう。ちなみに、社会科も、3学期のテスト4枚?の平均は95点程度でしたが、残念ながらあと一歩で全員100点は達成できませんでした。

これって不思議なんですけれど、テストの点数なんてどうでも良いと強く思ってからの方が、点数が上がったんですよね。「どうでも良い」って語弊があるかもしれませんが、でも、テストの点数って学習の目的にはならないでしょう?テストのために勉強するって、あり得ない。

「テストで100点取ったら、ゲーム買ってもらえる」

なんて子も居るかもしれませんが、それだと目的は「ゲームを手に入れること」です。

「テストで100点取ったら嬉しい」

なんて場合は、「達成感」が目的なのでしょう。

他にも、進学だったり、就職だったり。

100点に価値があるわけじゃないんです。テストの点数なんて、一生懸命に勉強して、分かったら教えて、分からなかったら聞いていると、結果として着いてくるものです。

「100点を取ることが課せられているクラス」は息苦しくて嫌になりそう。そういうクラスじゃ学べません。それより、結果として力が伸びているクラスがいいなあ。ちなみに、わたしが「良いクラスなんだろうなあ」と感じるクラスとして、このクラスが御座いました。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/daitouiruka/

イルカさんのブログを読んで、「楽しそうに100点を取るクラスのイメージ」を得たことで、わたしの捕らわれを1枚脱ぐことができました。

昨夏のフォーラムでお会いするチャンスがあったようなのに、逃してしまったのが残念・・・。


「100点取れ!」と言われても、子供達は取れません。

頑張りを点数に結びつけるためには、教師の腕が必要です。

その上で、教師の手の届かない子を不幸にしないためには、集団の力が必要です。


あれ?話が支離滅裂。

やっぱり、まだ、わたしの頭の中が贅肉だらけで上手く整理できていません。

またそのうち、ちゃんと説明できるか挑戦だ!

2014-03-24

経営者の視点

| 18:00

わたしがここ数年で分かったこと。それは、

「子供達にとって幸せなクラスを作るには、教師が『経営者としての視点』を持っていることが必須なのだ。」

ということ。


教材や話術を最優先する教師が多いのは承知しています。

教材も、詰まらないものよりは、面白いものの方がいい。

話術も、無い教師よりは、ある教師の方がいい。

でも、なくても何とかなるのです。足りなくても何とかなるのです。

けれど、学級を経営する上で絶対に必要なものは、経営者としての視点なんです。もちろん、それだけあれば万事オッケーではありませんよ。

でも、これがなくちゃどうしようもないのです。

わたしだって、「全員が掛け値なしにハッピーな学級を、俺なら絶対に作れる」だなんて言えません。教師の仕事は、そんなに甘いものではありませんから。

でも、経営者的な視点を持つことで、「不幸な子」を生みだす可能性はグッと下がるのです。


どんなに素晴らしい教材も、どんなに素晴らしい話術も、絶対に「不幸な子」を生み出すのは止められないのです。

逆に、教師が学級経営の視点をちゃんと持っていれば、素晴らしい教材や技術や役に立つのです。


経営者視点。経営者目線。これこそが最優先。大切だよなあ、これ。

と、一人でご満悦でっす。

あとは、わたしが現時点で考えている視点から、どんどん無駄なものを削っていくのがこれからの修行です。

来年度の課題だな。

これで、来年度も、モリモリ楽しんでいけそうです。

2014-03-09

分かり合うということ

| 16:00

坂内さん(id:tontan2 さん)が少し前に「内容は学び合えない。姿は学び会える」というようなことをおっしゃっていました。

なるほどなあ、と思います。

似たようなことをある知人と話している中で感じました。そのことをツラツラと。


最近、

「ベクトルの違いは分かり合える。でも、レベルの違いは分かり合えない」

ということを感じます。

以前は、逆だと思っていました。

同じ方向性を見ている人なら、レベルが違っても、じっくりと話し合えば分かり合えるはずだ。

でも、方向性が違う人とは、どんなに話し合っても分かり合えないだろう。

そう思っていました。

でも、ある人とわたしは、進んでいるベクトルは違うにも関わらず、わたしの言うことを理解して貰えました。

その人とのやり取りを通して、たとえ方向性が違っても、性格が違っても、立場が違っても、同じレベルで物事を考えている人となら話せるのだなあと感じました。(もしかすると、相手はそうは感じていないかもしれませんが^^;)

逆に、同じベクトルで進んでいるはずの人が、なぜそんなことをするのか理解できないことも。


例えるなら、一流のサッカー選手と一流店の寿司職人が対談をしたらお互いに得るものが大きいけれど、一流店の寿司職人と回転寿司の店員さんが一緒に寿司を作っても、なかなか分かり合えない感じ。もちろん、どちらが偉いってわけではありません。どちらも、お客さんに「美味しい」と思って欲しいという方向性は一致しているはずです。でも、この場合は「値段」のレベルが違う。そうなれば、提供する商品は全くの別物になるのは当然ですよね。


お互いに「子供のため」と言っているのに、なかなか分かり合えないことって、よくありますよね。そうすると、相手が「子供のためと言いながら、自分のことしか考えていない駄目な人間」のように感じてしまうけれど、実はそうじゃないのかもしれません。

あ、念のために言っておきますが、「わたしが一流で、相手が三流だ」って言いたいわけではありませんよ。

教師のレベルって、技術で決まるんじゃないと思っています。だって、技術の違いなんて、極一部のスーパー名人教師を除けば、ほとんどの教師はドングリの背比べだと思うんです。もちろん、わたしも含めて。

教師にとって最も大きなレベルの違いは、どこまでを意識して見ているか、ではないでしょうか。

子供のためと言っても、クラスのある一人の子のためなのか、最大多数の最大幸福のためなのか、クラス全員のことなのかというレベルの違い。または、今この時のためなのか、数週間〜数か月先を見ているのか、1年先を見ているのか、卒業後も見ているのかというレベルの違い。

そういう意識レベルの違いで、分かり合えたり、分かり合えなくなったりするんじゃないかなあ。

だから、分かり合えない相手を「自分のことしか考えていない駄目な教師」なんて風に決めつけてしまってはいけないんですよね。

相手を断罪する前に、その人がどこまでを意識して発言しているのか、行動しているのかを見極めるようにするべきなのでしょう。そうすれば、相手の真意がちょっとは分かるんじゃないかなあ。まあ、仮説ですけれど。


ただここで、次の問題が発生。ここまで考えていながら、

「でも、何で俺がそこまで配慮してやらなくちゃいけないんだ!?」

って考えてしまいかねない、わたしの性格の悪さが問題。

修行の日々は続くのです^^;