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もっと!もっと! 縦横無尽

福島県の小学校教員 なおたかの以前のブログです。

新しいブログは こちらです。

2014-03-05

分かっていない

| 06:10

わたしは欠点の多い人間ですが、その一つに「自分程度が分かっていることは、きっと他の人も気付いているだろう」と勘違いしてしまう、ということがあります。

例えば、


『学び合い』は、経営論・組織論であって、授業論ではない。


ということ。

わたしは、これに気付いた時に、授業に対する迷いが大きく減りました。

自分にとってあまりに腑に落ちているので、皆々様もきっと分かっているし、分かってくれるだろう、なんて大きな勘違いをしてしまうくらい。

でも、そうは考えていない人も多いんですよね。というか、教師で在りながら、学級経営という視点を持っていない人も多いことに驚くんですが。


「こういう授業は『学び合い』では出来ない。だから、『学び合い』は駄目だ」

という論調で、『学び合い』を批判する方が居ます。

笑ってしまいます。理由は何点かあります。

一つは、多くの場合、「こういう授業」がそんなに威張るほどのレベルじゃないこと。

もう一つは、「こういう授業」をやっても「できない児童」に対する指導が見えてこないこと。

さらには、「こういう授業」を本人も実現できていないこと。

もっと言えば、それによって生じる(ということが、ある程度の力量を持っている教師なら予想できる)様々な問題点に対して無策であったり、問題自体に気付いていなかったりすること。

ついでに言うと、批判の矛先が『学び合い』に向いているように見えるけれど、それが全く別の物(教育行政だったり、自分が過去に出会った教師だったり)に対してであることも少なくありません。


『学び合い』の最大の利点は、教科指導と学級経営が完全に融合していることにある、とわたしは考えています。

それ故に、『 学び合い』は経営論・組織論だと思うのです。

けれど、授業レベルでしか学級や学校を捉えていない教師が大半ですから、話が噛み合いません。

敢えて言いますが、それはベクトルの違いではなく、レベルの違いです。

分かっていないのです。


45分間という時間で切り取った「授業」としてなら、優れた実践は沢山ありますし、わたしなんぞより素晴らしい先生は星の数ほどいらっしゃるでしょう。授業の腕だけでも、数時間〜数か月ならば勉強を分かっていない子を誤魔化して、何となく分かったような気分にさせたり、授業に参加出来ているような錯覚をさせたりすることはできるでしょう。でも、ずっとは無理です。小学校6年間は誤魔化せません。義務教育の9年間はもっと無理です。

長期間、全員が学び、成長するには、学級や学校全体を「学び、成長する場」にする必要があると、わたしは考えています。

(西川先生がいう「地域レベル」は、わたしにはまだ見えてこないというのが本音です。理論的には分からないではありませんが。)


ということで、最近では、分かっていないし、説明しても分からないであろう人には、余計な力を使わなくなってきました。

良いコトですね、これは。

それよりも、分かってくれそうな方や分かりたい方と話す方が、絶対に楽しいし、実りもありますから。

2014-01-17

点数とレポート

| 18:57

わたしが『学び合い』を始めて間もなく丸4年となります。

この4年間で,安定して『学び合い』を続けていくコツがなんとな~く掴めてきました。

コツを掴んで,安定して続いていく『学び合い』を「持続向上型」と名付け,逆に不安定なものを「助け合い型」と名付けたのが,半年くらい前かなあと記憶しています。(もうちょっと前かな?)


なぜ,助け合い型の『学び合い』が不安定になるのかというと,子供達は,仲が悪くても仲の良い振りができるからです。助け合っているふり,教え合っているふりをしていても,教師にはそれを見破ることはできません。そういった姿の一部分なら見付けることは可能でしょう。でも,学級の全員は無理です。もしかしたら,子供自身だって,本当に助けあっているのか,ふりなのか分からないかもしれません。だから,評価できません。評価できなければ崩れます。


一方,問題が解けるようになったふりは見破ることができます。実際に解かせてみれば良いのですから。


とうわけで,わたしは児童に対してテストの点数を求めます。

テストの点数を求めるだけじゃ面白くない,という人の気持ちも分かります。テストの点数を取らせるために仕事をしているんじゃない,という人もいるかもしれません。わたしだってそうです。テストが大切だから,点数を求めるのではありません。

点数自体に価値があるのではなく,「点数を取る」という課題を達成することが,チームとしての完成度を上げることや,より多くの人と関係性を結ぶことができる人間に成長することに繋がると自信を持って言えるから,点数を求めているのです。

点数を求めることは,『学び合い』を安定させるテクニックとして普遍性があると思います。(でも,絶対的ではないですよ。)


さらに,昨年度から「レポート」を書く活動を取り入れて,授業が安定しました。

「分かったことを書きまとめなさい」という課題は,点数とはまた違った面でチームとしての完成度を上げたり,関係性を結べるようにさせたりすることに繋がると実感しています。また,山のようなレポートをビシバシ読んでチェックしながら,教師としての喜びに浸れます。

加えて,わたしの心の中にちょっぴり残っている「点数だけじゃ,つまらないよ」という欲求が,レポートによって満たされるのも感じます。だから,授業が安定してきたのでしょう。教師の「気持ち」って授業にめちゃくちゃ影響しますからね。(もちろん,人によっては,レポートなんてどうでも良いよ,という気持ちの人もいるでしょうけれど)


テストの点数とレポート。

これがちゃんと融合したから,わたしは安定して授業ができているんだなあ。

2013-11-26

学び合わなくても良い

| 19:15

『学び合い』というネーミングに対しては,賛否両論あるようですが,わたしは好きです。シンプルで。

でも,誤解しないで頂きたいのは,『学び合い』とは「学び合うことが大切だ」という意味ではありません。

「子供達が学び合う」という時,多くの教師がイメージするのは,「一部の“出来る子”がどんどん教える」という姿です。いわゆる「ミニ先生」の延長のようなもの。けれど,これでは,いつの日か学び合うことが嫌になります。教える側の負担は増し,教わる側は自己肯定感が下がったり,学習意欲が下がったりするからです。

こういった姿を指して「学び合う学習なんてダメだ」という批判をする人もいるでしょう。その通りです。「学び合うことが大切だから,学び合いなさい!」という授業は,わたしは大反対です。わたしが言うところの「助け合い型『学び合い』」です。


本当の意味で「学び合う」というのは,そういう授業ではないと考えています。

課題を達成しようとする時に,ほとんどの人間が取る作戦が「学び合うこと」です。「学び合う能力」は(ほぼ)全ての人間が有しているし,最も効率的だからです。

学び合うことが大切だから学び合うのではなく,それが効率的だからそれを活用して学習するのです。

ただ,学び合う能力は,もともとは「数名」が限度です。けれど,それを教育の力によって学級全体・学校全体へと広げることができます。逆に言うと,学校の役割は,学び合う対象を広げることにあると言えるのではないでしょうか。

これって,『学び合い』だからというわけではなく,教育というものは,はるか昔からそういった役割を担ってきたんじゃないかと予想しています。大きな仕事を成し遂げた人は,それだけ多くの人を「仲間」と認識できる人だったんじゃないか。そういう人が知的な人だったんじゃないか。そんな風に考えているのです。こういうことをちゃんと研究してみたいという欲求はちょっとあるのですが,今のところ,教室において実践人でありたいという気持ちが勝っていますけれど。


話を戻します。

学び合う対象が4~5人から学級全体へと広がっていくと,「合わない人」が出てきます。人と人ですから,当然です。わたしなんて,今まで同僚の中で「考えを共有できた人」なんて数えるほどです。合わない人がほとんどです。

そういう人と無理やり合わせて学び合うことは,非効率的です。(だから,最初は気の合う4~5人と学び合うことをえらぶのです。)

合わない人とは,距離をとって良いのです。ただし,繋がりを切ってはいけません。

お互いにぶつかり合わない距離を保っておきながら,課題解決に向けて活動をしていく中で,時として接点を持つこともある。接点とは,直接話をすることだけではなく,人を介して間接的に繋がることだってあるでしょう。例えば,AさんとBさんは相性が悪くてあまり話をしないけれど,AさんがCさんに説明し,それをCさんがBさんに説明する,なんてことはあるはずです。

そこでAさんは

「わたしが考えたことなんだから,Bさんには教えないで!」

なんて言わずに,どうぞどうぞと言えればいいのです。大人の対応ってやつですね。このように大人の対応をすることで,AさんとBさんは気は合わないけれど間接的に学び合うことができるようになります。それでいいのです。

逆の対応が

「Bさんとはしゃべらないで!」

と周囲を巻き込んで関係性を断とうとするパターン。これ,ありがちですよね。仲間は数人,後は敵!という認識の子は,こういう行動をとってしまうこともあるでしょう。仲間を増やすことが自分のメリットになると知らないのですから,仕方ありません。


繰り返しになりますが,そういう行動をとってしまうAさんやBさんに

「喧嘩をしてはいけません。仲良く学び合いましょう!」

と言うのは,『学び合い』ではないと考えます。

AさんやBさんの適切な距離感は,当人が決めれば良い。ただし,みんながゴールに近付いていくために,自分が貢献できるようにする義務は負うのです。

「大切なのは結果。結果を出せる関係が良い関係。結果を出せる関係とはどういうものか。それを体験的に学んでいくのが学校」

それがわたしの考える正しい関係づくりであり,目指す学級の姿であり,本当の『学び合い』なのだと思っています。