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furu-t 学び続ける日々

2013-01-16

[]怒る・叱る・ほめる・認める

「どうして叱るのか?」

これって実はすごく大切な「?」だと思います。



何となく叱る。これって実は一番効果が薄いんですよね。

まずは、みなさんが「叱る目的」をしっかりもてているか?

そこが大切になってきますね。


ナビでいうと、目的地が設定されていないと、目的地にたどりつけないのと同じ。

子ども達をこうしたい!」という「目的地」があるから、「叱る」のですよね?

じゃあどんな子ども達を育てていきたいのでしょうか?



どんな子ども達を育てていきたいのでしょうね?

これを一言で答えられる人はすごい!!(拍手)

私は何年もその答えをさがしてきました。



「どんな子ども達を育てていきたいのか?」



それはもちろん。

子ども達を「自立した大人」に成長させるためです。




「自立ねぇ…。そんなの当たり前じゃん。」

と思われた方もいるかもしれません。

でも、「自立」ってすごく難しいのです。


自分がいなくなっても、子ども達が自立して生きていけるか?

そのために自分が何ができるのか?

それを考えていかなければなりませんね。



「あなたは自立していきていかなくちゃいけないの!だから私はこんなに𠮟っているのよ!!」

なんて自分の気持ちをぶつけてしまっては、かえって子ども達は萎縮してしまいますよね。



じゃあ、どうすればいいんでしょうか?

子ども達が自立して生きていくために必要なもの。

それは


「高い自己肯定感


です。


自己肯定感」とは何か?

それは自分を肯定できる感情です。


つまり…

「俺はできる!」

「私はもっと伸びていける!」


という気持ちです。

子ども達との会話を通して「自己肯定感」を子ども達の心に刻んでいく。

そんなことができたら素敵だと思いませんか?




日々の会話が自信を生む。

そんな言葉かけをできるようになりたいものです。


「叱る」と「怒る」。

似たような言葉だと思いますが、ではこの2つはどのように違うのでしょうか?


「叱る」と「怒る」の違いって何?

素敵な記事を見つけたので紹介しますね。




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 「自分のために怒る。相手のために叱る。」


「怒る」とは、相手が自分に悪い影響を与えたり、自分が指示したとおりに動いてくれなかったりした場合に、自分が腹をたてたことを相手にぶつける動作なわけです。「オレハオコッテンダゾー」ということを相手にわかってほしいとか、うっぷんを晴らしたいとか、相手を困らせたいとか、そんな理由ですることなんですね。そのような自分の目的が果たせればそれでいい。相手がそれでどうなろうが知ったこっちゃない、というわけです。


一方「叱る」とは、相手が自分を含めて誰かに悪い影響を与えたり、自分が指示したとおりに動いてくれなかったりした場合に、相手をより良くしようとする注意やアドバイスを、あえて声を荒げたり語気を強めたりして相手に伝える動作です。(会社の場合だと)金銭的・社会的に損失になるような行いだとか、(育児の場合だと)生命に関わる行いだとかを是正する、そして本人が同じ間違いを繰り返さないようにする、そんな理由ですることなんです。


人間は感情の生き物ですから、「怒るな」と言われても難しいですよね。相手が対等の立場だったら怒ってももいいと思います。ただ、感情的に怒るとかえって逆効果になる場合もあります。相手がもし部下だったりかわいい子どもだったりする場合は、感情的に怒る前に一瞬「まてまて」という気持ちを持って、それを「相手のためになるように叱るにはどうすればいいか」を考えるようにすれば、より効果的に自分の気持ちを相手に伝えることができるようになるんじゃないか、と思うんです。…





http://blogs.itmedia.co.jp/tani/2008/03/post-83b9.html  より







 「自分のために怒る。相手のために叱る。」

これってすごくわかりやすい言葉ですよね。




「叱る目的」は子ども達のよりよい成長。詳しく言うと「自立」のためにでしたよね。

でも、「怒る」ことは自分の感情を満たす行為でしかないんです。

子ども達のことを本気で思っていたならば私達は「怒る」のではなく「叱る」という行為に少しずつシフトチェンジしていかねばなりませんよね。



ところで

子ども達はほめて育てるのがいい」

そんな言葉を多く聞きますよね?

確かにほめられると嬉しいですよね~!

ちなみに、私はほめられると木に登ってしまうタイプです(笑)


ほめて、ほめて、ほめまくって子ども達を育てられたら素敵ですね。


子どもはほめて育てるのがいい」

でも、この考え方で子育てをしていくと、迷う時ってないですか?


よく悩むのは、

「叱るべき時もそれを押し殺してほめたほうがいいの??」

という疑問です。



ほめること=善

叱ること=悪




このように考えていくと「だめなものはだめっ」って言いにくくなってしまうんですよね。

どうすればいいのでしょうか?

はっきりいうと、

子どもはほめるだけでは育たない」




確かに私も子ども達をほめます。

でも、それはほめて育てるためではないのです。


私がほめる理由。

それは「本気で叱るため」です。


素晴らしいことをした時の子ども達の顔は輝いていますよね。

私はその時の表情を本気でほめます。

そして言います。


「いい顔だね」

「その顔が君だね。そのいい顔を絶対忘れるな!」


その素晴らしい笑顔を「自分らしさ」として子どもの心に刻むんです。

(この「自分らしさ」についてはまた別の機会に書いていきたいと思います)

自分のいい時の顔が心に刻まれた子ども達は自分の「良い表情」と「悪い表情」を区別できるようになるんです。

本気でほめたからこそ、子ども達がしてはいけないことをしてしまった時、私は自信をもっていえるんです。



「違うだろ!」

「そんな顔をしているのは本当のお前じゃない!」

と。

子ども達の「いい顔」を理解できているからこそ、本気で言えるんです。

本気で思えるんです。「その顔はお前の本当の顔じゃない!」 と。


ほめて育てる。

それを言葉通りとっては子どもは育たないのです。




「ほめる」ために「叱る」のです。

「叱る」ために「ほめる」にです。




ほめること=善

叱ること=悪


なんかじゃありません。


褒めると叱るは表裏一体。



本気で褒めることで本気で叱れるのです。

本気で叱るからこそ本気で褒められるのです。


そんなことを通して子ども達が「自分らしさ」を確立すると、子ども達の心が育っていきます。



「褒めて育てる」

そのずっと奥に込められた思いを私達は読みとって言葉かけをしていきたいですね!



前回の記事で「ほめること」と「叱ること」は表と裏。

子ども達を育てていくためにはどちらも大切なんだよ。ということを書きました。




でも、どちらも大事って言われても難しいですよね?

もしも自分が2人いたら「ほめやく」と「叱りやく」に役割分担することもできるのですが…。




たとえば、お子さんが自分が食べたゴミを散らかしたままだったとします。

それをあなたが「しっかり捨てなさい」と言ったとします。

しかし、お子さんは遊びに夢中で聞く耳なし。

何度言っても、いうことを聞きません。




さてどうしたものでしょうか?


ここであなたは、その子を叱ったとします。

そして、無理やりゴミを捨てさせたとします。

ゴミを捨てて戻ってきたお子さんにどう声をかけますか?




「ちゃんと捨ててきたんだね。えらいね!」

「捨てられたんだ~。すごいね~!」


この声かけはNGだと思います。



「えっ!?どうして??」という方もいるかもしれません。




「ちゃんと捨ててきたんだね。えらいね!」

「捨てられたんだ~。すごいね~!」




この言葉は、


「ほめるべきではないことをほめてしまっている」


ということなんです。




実はここで大切なことがあります。

私は「ほめることは大切」といってきたのですが、あまりほめる言葉を使うことはないんです。



「えっ?じゃあほめないの?」

と思われる方もいると思います。

そうです。あまりほめません。

でも、そのかわりに大切にしている言葉があります。

それは・・・




「認める言葉」です。





「???どういうこと???」

と思われますよね。

今から説明していきますね。




「すごいね」「えらいね」


この言葉は褒める言葉です。

私がこの言葉を使うことはかなり少ないわけがあります。


それは、大半のことは心から「すごい」「えらい」と思えることでないからです。



たとえば、さっきの例。

お子さんが自分が食べたゴミを散らかしたままだった。それを自分でゴミ箱に捨てた。




これって、「すごい」ことだと思いますか?

これって、「えらい」ことだと思いますか?


そうですよね。そんなこと、

「当たり前」ですよね?


そう考えると日常すべてのものが「当たり前」のことなんですよね。


宿題をやることだって、お手伝いをすることだって、お片づけをすることだって、しっかりと話を聞くことだって・・・。


だってこれはぜ~んぶ「当たり前」のことなんだから。


もしも、「当たり前」のことに対して「すごいね」「えらいね」という言葉を使うとどうなりますか?


そうです。その行為が「当たり前」のことではなくなってしまうんです(大変!)




「じゃあ、言われたことをしっかりやったことをどうやって評価してあげればいいの~??」

となりますよね?

その時大切になってくるのが「認める言葉」なんです。




認める言葉はこんなものです。

「できたな。」

「しっかりやったな。」

「最後までやったな。」

「伸びてるな」

「それでいいんだ。」

それが大事だな」…




そして、付け加えます。

そういうあなたなら「もっと」伸びるよ。と。




この「認める言葉」を使うのはけっこう難しいのです。

だって、しっかりその行為を見ていないと認められないから。

「すごいね」「えらいな」というほめ言葉は、うわべだけでもいえます。

でも「できたな!」という言葉はその行為をしっかり見ないと言えないんです。




これを意識していくだけでも子ども達への声のかけかたが変わってきますよ。


「認める」というスタンスを常に意識していきたいものですね。

[]確信をもった行動

「行うこと」と「確信をもって行うこと」


両者は同じ行為であっても天と地ほどの差がある行為だ。

確信をもてるほどの信念をもつ。

強い信念をもとにした行為は、周りの人を変えていく。

信念が根底にない行為は、周りの人に染められていく。


「私には確信をもって行えるほどの自信もない」

「貫ける信念だってない」


自信をなくす人もいるでしょう。

でもそんなのみんな同じでしょ?

もちろん私だって。


初めからそんな揺るがない信念があるわけはない。

日々の小さな小さな行動の繰り返しが信念を創りあげていくのだと思う。


どんなに偉大な人物も、初めは皆初心者だったのだ。

「見る」と思うから「見えてくる」ものがある。

「できる」と思うから「できる」ようになる。


確信がもてるほどの信念は

小さな小さな行動の積み重ねから生まれる。


激しい自己対話

そしてその激しさの中でも笑って楽しみながら歩んでいけるか?

そこなのだと思う。


思考のメモでした。