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furu-t 学び続ける日々

2013-01-10

[織り重ねる学び]「織り重ねる学び」と「継続性」②


さて、今回は

「書くことを継続するとどんないいことがあるの!?」

ということについて書いていきたいと思います。


んっ!!??

そういえば、先日、これに繋がる内容をブログに書いたゾ!(ピカーン!)

今思い出したので前回のブログの内容をのせてみますね。(ラッキー!)



先日書いたブログ

<引用開始!>

昨年の暮れ、教育課程研究会という会に参加させていただきました。

その時の講演である方がこんな実践を話されていました。

(お話されていたこと)

子ども達の聴く姿勢を鍛えるには「書かせる」といいですよ。

例えば、全校朝会での校長先生の話。

これを教室に帰ってから書かせるんですよ。すると、子ども達は朝会で校長先生の話を聴く態度が変わるんです。

そして、不思議なことに教えてもいないのに、話し方が変わってくるんです。

たとえば、「僕の言いたいことは3つあります。はじめに~・・・」などという話し方が自然に身についてきたんですって。

でもね。子ども達に書かせても、みんながうまく書けない時があるんですって。

それはね、「校長先生の話し方がわかりにくかった時」なんです(笑)

うまく伝わらなかった時は校長先生の話し方にも問題があるみたいですよ。

子ども達が書いたものをもとに校長先生と交流してみるのも素敵かもしれませんね。

(終わり)


この実践をされている方がどこの方なのかはわかりません。

しかし「さすがだなぁ。」と感じました。

この実践をされている方も我々と同じ「書く」(言語化する)という活動を通して様々なことを考える目を養おうとされているのでしょう。


上の話からもわかるように、この実践には3つの長所があります。



1つ目。子ども達に「聴く姿勢」が身についていく


上の話では子ども達の「聴く」姿勢が変わりましたね。

「書く」という明確な目標があるので、「聴く」のです。


主体性をもって…なんてよく言われますが、主体性がある人は基本的に自分で「目的」「目標」を設定するのがうまい人です。しかし、それらを心にもつことが実は一番難しい。


そこで「書く」という明確な目標を子ども達に提示するのです。

その目標に向かうためには「聴く」という行為が大切になってきますよね。

「ちゃんと聴け!」ではなく、「書くためには聴くことが大事」というように聴くことが「手段」となっていくのです。




2つ目。聴いたことが自然とインプットされていく。


上の話では、子ども達が自然に校長先生の論の運び方をまねし始めていました。

そうです。まさに「学ぶ」=「真似ぶ」ですね。

我々は脳で思考することで学ぶ(インプット)ことよりも自ら行動する(アウトプット)することで成長することの方が大きいのです。

いくらサッカーの本を読んでも、実際に練習しなければ上手くならないのと同じです。

何度も何度も繰り返していくうちに、それが自然につかいこなせるようになっていくわけです。

子ども達が本気で「聴く」経験が様々なものが子ども達に吸収されていきます。

話すスピード。表情。論の運び方。自分の考えへの繋げ方…

子ども達に自然に刻まれていくのです。





3つ目。評価として、授業者に跳ね返ってくる。


上の話では、子ども達が書けなくなる時は「校長先生の話し方」に問題がある。と言っていました。

そうなんですよね。言葉というものは消えてしまうものなんです。

話し手がうまく話せたか、言いたいことが伝わっているかを評価することは難しいのです。

一生懸命話したから「伝わっているつもり」でいたら、全然伝わっていなかった。そんな話は山ほどありますよね。私もそんな経験ありです(笑)

その「伝えたつもり」を厳しく評価してくれるのが、子ども達です。

子ども達の書いたものをみれば、話し手の足りない部分が浮かび上がってきます。




まとめます。

校長の話をまとめる。と言う実践の素晴らしさは何か?

①「聴く」姿勢が身につく

②良い所が自然にインプットされていく

③授業者評価となる

<引用終わり>


う~ん。

しっかり書いているじゃありませんか。(感動)



この実践をされている方は「書く」ということがあらゆる力を高めていくことに気づかれているのでしょうね。


みなさん!全校朝会がある時、ぜひやってみるとよいのではないでしょうか?


実はこの実践に「継続性」を吹き込んだもの。

それが我々の「織り重ねる学び」なのです。

月に一度やるだけではもったいない!

毎日、毎時間、この「書く」という行為を貫いて子ども達を育てることはできないか?

ということです。


ということで、次回は

「書く」ことを日々の授業におとしこむ

必要がことでどのような、利点があるのか?

それをお話しますね!

[]「織り重ねる学び」と「継続性」①

さて、今回から「織り重ねる学び」についてわかりやすく説明をしていきたいと思います!

この実践において「継続性」「主体性」「連続性」がどのように貫かれているのか、それを説明していきますよ!

それではまず始めに「継続性」について書き進めていきたいと思います。

前回「継続性」について書いた記事で、継続することの大切さを書きました。

覚えていますか?

同じことを続けていくからこそ「差」を感じ取ることができる。

ということです。

「ファミレスの店員さん」と「お水を飲もうプロジェクト」の例を挙げて説明しましたよね?(笑)

では、我々の実践において毎時間、必ず継続されている行動とは何でしょうか?

そうです。

それは、「学んだことを言語化すること」ということです!!

つまり、学んだことを必ず「書く」のです。

どの時間でも、最後の15分はまとめの時間です。

その日の学びを「言語化」していきます。

国語でも、算数でも、理科でも、社会でも。ほぼどの教科でも書きます。


「んっ?どうして「書く」ことが大切になってくるの?」

なんて思う人もいるかもしれませんね。

するどいです!

では、なぜ我々が数多くある行為の中から「書く」というものを選び抜いたのか?

そこを説明していきますね!


実は「書く」という活動には多くの可能性が秘められているのです。

「話す」「聞く」「読む」「書く」

この中で、形の残るものってどれですか?

「話す」「聞く」

話したことは形に残らないですよね。

「読む」

何をもって読めたってどうやって判断するの??


しかし、「書ける」は違います。

「書ける」は4つの中で唯一「証拠」が残るのです。

「証拠」として形に残る。

だからこそ、きちんと評価もできるし、長所や短所も共有できる。

というわけです。

さて、少し疲れが出てきたので、表現がわかりにくいところが多々あるかもしれませんが、それは許してくださいね。

次回は、

「書くとどんないいことがあるの?」

ということに迫っていきますよ~!(笑)

[]「継続性」「主体性」「連続性」を貫く実践とは?①

今行っている「織り重ねる学び」について書こう!

そうと思っていたら、「良い授業とは何か?」という本質的な部分にまで斬り込んでいかなければならなくなってしまいました。(笑)


怒涛のアウトプットを繰り返してきた私でございますが、まとめるとこういうことです!




良い授業には「継続性」「主体性」「連続性」が貫かれている!(ジャジャ~ン!)




うん…。一生懸命説明してきたけど、こんな一言で終わってしまうのね(苦笑)



この3つを貫いている実践。

それこそが今私達が研究している「織り重ねる学び」でございます。



今まで私達は、「学びの共同体」や「学び合い」の考え方をもとに実践を積み重ねてきました。

しかし、その実践を積み重ねていくうちに、協同で学ぶということは、子ども達の成長のための1つのパーツでしかないことに気づき始めました。



簡単に言うと、「みんなで学ぶ」から賢くなるのではない!

ということです。

この「みんなで学ぶ」ことは確かに「主体性」を高めます。

しかし、大切なのは「結果」。すなわち子ども達に力がついているのか?

ということですよね?



主体性」、「コミュニケーション能力」などという言葉をよく聞きます。

確かにそれはこれから生き抜く子ども達にとってとても大切な力ですよね。

でもその力を子ども達の「学力」と密接に繋げていくことがさらに大切だと思うのです。



主体性」や「コミュニケーション能力」という目には見えにくい力を、はっきりとした「形」にして表していきたい!

そう考えて積み重ねてきたのが本実践です。



数多くの議論を重ねて、少しずつ結果が出てきました。

まだまだ、改善する余地はありますが、現段階での状況をまとめていきたいと思います。



それでは、「織り重ねる学び」がどのように「継続性」、「主体性」、「連続性」と繋がっているのか?

これからはそれをまとめていきたいと思います!


それでは第二章スタート!!(笑)

[]連続性とは?

良い授業に貫かれている「3原則」!

ついに…。

ついに…。

3つ目に突入!

3つ目!

「連続性がある!」について書いていきます!(パチパチ!!)





連続性とは何か?

う〜ん。簡単にいうと。

「繋がっている」っていうことです。



素晴らしいなぁ。と感じる授業は必ずこれがあります。


例えば、

「あっ!これ前やったことがある!」

とか

「この前やったこのやり方でやることはできないかな?」

とか「これって実は前にやったあれと同じことなんじゃない?」

なんて子ども達がつぶやく時あるじゃないですか?



あの言葉が出る子は授業を「連続性」を感じている子なんです。


授業を「点」として捉えるのではなく、流れの中で「線」として捉えているのですよね。


だから、先ほどのようなつぶやきがたくさん生まれる授業って素晴らしいと思います。

だって、「連続性」を感じている、学びを繋げている子が多いということですから。(うんうん。)



特にすごいなぁ。と感じるのは、

単元や教科の枠を超えて、繋げていける子ども達です。



先日、研究授業を見た時に、こんなことを叫んだ男の子がいました。


「あっ!これ◯年生の時にやったあれと似てる!!」


この子は今やっている単元の枠を飛び越えて、学年の枠も飛び越えて学びを繋げているわけでございます。



また、こんな子もいます。


理科で電磁石を学んだ時のことです。


「先生。電磁石ってこの前社会で習った自動車のモーターにも使われているんですよね?それとからめて電磁石の文を書いてもいいですか?」


しびれますね!

この子は、「社会」と「理科」という枠を飛び越えて学びを繋げているわけです。


こういう「繋がる」場面がたくさんある授業。

これが「連続性がある」授業です。



良い授業に貫かれている「3原則」

それは

①継続性

主体性

③連続性

です。

さあ。これがわかれば、授業が良いものか改善の余地があるかが見えてきますね!


でも…まてよ。

それら3つが全部貫かれている授業なんて展開できるの…???

と思ったあなた!

それが我々の今の行っている実践です。

さぁ。いよいよ、次からは我々、「学び続ける子どもの会」の「織り重ねる学び」について書いていきますよ〜!

お楽しみに!!

[]主体性とは?③

前回は私の勝手な思いつきで横道(本道??)にそれてしまいました。

話を引き戻したいと思います。

「学びの主体性の測り方」

簡単にいうと、

子ども達が学びの主人公になっているって、なにをもってわかるんだい?」

ということですね。

それは「アウトプット」している時間で測ることができます(キリッ!)

ここまで前回にもお話しましたよね?

それでは今日はこの「アウトプット」ということについて考えていきたいと思いますね。


アウトプットとは何か

アウトプットのパーツを3つ書きますね。

A:聴く

B:話す

C:書く


この「A+B+C」の時間が45分(中学校では50分ですね)に近づいていれば

子ども達が学びの主人公になっている」

と言えると思います。


「そんなの当たり前じゃん!」

と思ったそこのあなた!(コラッ!)

これは実はかなり難しいのですよ!(笑)


条件があります。

それは

Bの「聴く」

ということと

Cの「書く」

ということについてです。


Bは

「聞く」ではありませんよ。

「聴く」ですよ。

ちなみに「聞く」と「聴く」の違いはわかりますか?


漢字を見ればわかりますよね?

「聞く」という漢字には「耳」という漢字しか入っていません。

それに対して

「聴く」という感じには「耳」と「目」と「心」が入っていますよね?

「耳」と「目」と「心」を「十」分に使ってきくことが「聴く」ということなんです。

「へえ〜。」

「ふ〜ん。」

なんてなんとなく聞いているのは「聴く」とは言えないのです。


なんとなく「聞いている」場合はこれを「聴いた」時間としてはカウントされませんよ。

これを考えると、自分は子ども達に話を「聴」かせることができているか?を問うようになりますね。


続いてCの「書く」ということについてです。

これは「子ども達が文字を書いている時間」です。

教師が「書こう」といっても、鉛筆がとまって戸惑っている場合はその時間はカウントされません。

「今日はこの作文を45分書きますよ〜!」

と言って

「45分アウトプットをする時間を確保したゼ!」

なんて考えるのは早いです

子ども達をよく見てくださいね。


45分間止まらずに、すらすら書いているならばオッケーです!

でも鉛筆が止まっていて、「ボーッ」としていたらノーカウントです(笑)



さて、ここまで書いてきて、A+B+Cを45分に近づけていくことがどこまでハードルの高いことか?がわかりますよね?


恥を承知で若かりし時のことを書きます。

「俺は子ども達を主人公にした授業をしているぜ!」

なんて調子に乗っていた自分の当時の授業を振り返ると…?


まずは「聴く」ということについて。


教師による導入。

教師の発問と挙手発表による繋ぎの時間。

子ども達は、授業の始めは集中しています。

でも、子ども達の「きく」のレベルは時間と共に下がり始めました。


はじめの5分程度は大半の子は「聴く」ことができているんですよね。


でも、しだいに「聞く」子が増えていき、「聞いている?」へと変化していくんです。


「聴く」ことができていたのはトータルで何分でしょうね??


次に話すということについて。

一斉授業の形式だと、子ども達の話す時間はぐっと減りますね。

子ども達が挙手して、それを教師が指名し、繋いでいく形式の授業。

子ども達が言葉を発する時間を数えてみましょう。


45分。一分は60秒なので。

え〜と。

つまり、一時間の授業は2700秒あるってことですよね。

その中で子ども達が立って言葉を発する時間は5秒程度から長くても60秒程度ぐらいですかね?

挙手をしなければ、0秒ということもあるでしょうね。

グループ活動や意見交換の時間をとっても、黙りこくって話さない子もいますもんね。


そう考えると自分の考えを話し続けるというのはかなりハードルが高いことだということがわかりますね。



最後に書くということについて。


「さあ、自分の考えを書いてみて」


と教師が言った後、子ども達が文字を書いている時間はトータルどれぐらいかな?


書き終わって時間をもてあましてはいないかな?

書き続けられる子はごく一部でしたねぇ…。(汗)


過去の自分の授業を思い出してABCのトータル時間を出してみますね。


A:聴いていた時間→10分(そんなにいっていたかな?)

B:話していた時間→1分(そんなにいっていたかな?)

C:書いていた時間→5分(そんなにいっていたかな?)

おまけをしても、トータル16分…。

これで「子どもが主人公!」なんて調子にのっていた私でございます。(はい。笑ってやってください!)




長くなってしまいましたが、

この「子ども達のアウトプットの時間が長い授業」というのが「主体性」の高い授業です。

良い授業は皆、「主体性」が高いです。

だから、子ども達が「生き生き」「伸び伸び」しているのですよね?

はぁ。疲れた…。

こんダラダラ文をお読みいただいた方。

ありがとうございます。

一休みして、次は「連続性」に切り込んで行きます!!

[]なぜ目的って必要なの?

さて、主体性の続きを書こうと思ったのですが、どうしても書きたいことがわき起こってきたので、ちょっと寄り道

寄り道というか、この話の根幹の部分なので、少しお付き合いください(笑)


今回書きたいこと。それは…

「人には目的や目標が必要なの?」

ということです。

よく言いますよね?

「目標を立てなさい!」

「目標が大切!」

でもそもそもなぜ、目的や目標を立てていくことが大切なのでしょうね?

私にそれを考えさせてくれるきっかけをくれたのは、民間ファシリテーターの「長尾彰さん」でした。

長尾さんが私には教えてくれたこと。それは

目的と目標の違いです。

目的と目標の違いとは何か?

目的の「的」は(まと)と読みます。

「目的」とは自分が目指すべきただ一つの的(まと)の部分を指すのです。


では一方で「目標」とはなんでしょうか?

「目標」という言葉の「標」という言葉。

これは「しるべ」と読みますよね。

「みちしるべ」という言葉がありますよね。

目的地に辿り着くために、つくられるもの。

それが「道標(みちしるべ)」です。


的は向かうべきただ一つの場所。

それに向かっていくために無数にある目印。

それが「標」です。

つまり「目的」に辿り着くために設定されるものが「目標」なのです。(目からウロコ!)

長尾さんは続けました。

「群れ」と「チーム(団)」の違い。それは

「目的」があるかないかなのだ!と。


なるほど!

それを聞いた私はそれから、その考えをもとに子ども達に目的を語ってきました。

もともと仲の良いクラスでしたが、さらにさらに素敵な「チーム」となっていったのです。

「3人のレンガ積み」の話も「目的」を考えるにはとってもいい話です。

こちらもあわせてどうぞ。

http://manabitudukeru.g.hatena.ne.jp/furu-t/20111120


そんなことがきっかけで、「目的」論を強く意識し始めたわけなのですが、それは「頭で理解している」に過ぎませんでした。



実は、ある出来事が私に「目的」の大切さを心に刻んでくれました。

それは「避難所学習支援プロジェクト」を立ち上げたことです。


3月11日に起きた東日本大震災

原発の爆発によって、私の街にもたくさんの避難所が設けられました。


「自分にも何かできないか?」

それが「避難所学習支援プロジェクト」を開くきっかけとなりました。

坂内さんと避難所に赴いた時の衝撃は今でも忘れられません。

騒然とした避難所

混乱、不安、絶望、あきらめ。

そんなものがうずまいている館内。

みんなわけもわからず、いきなり避難者になってしまったのです。

無理もありません。


いつ帰ることができるのか?

これからどうなっていくのか?

全然わからないのです。

避難所には当然子ども達もいます。

もちろん、避難所ですから、学びの場はありません

子ども達はただ、目の前に流れる時間を無意味に過ごしていました。


そう。すべてを根こそぎ奪い取られた彼らには「目的」と呼べるものがなかったのです。


避難所学習プロジェクト初日。

坂内さんがまず行ったのは、「目的」を刻むことでした。

当時の坂内さんのブログです。

http://d.hatena.ne.jp/tontan2/20110326

http://d.hatena.ne.jp/tontan2/20110330/p1



今の状況。

確かに、かわいそう。

確かに、つらいだろう。

しかし、ずっと被害者として生きるのか?

それとも、この状況を打ち破るほどの力をもつのか?

それは自分で決められる。

つらいだろう。苦しいだろう。

確かに周りの人達は君たちを見て「かわいそうだね。」と言ってくれるかもしれない。

でも、「かわいそうだね。」と言ってくれるのは今だけだ。

それは人にとってすべて過去になっていく。

自分を「かわいそう」と思って生きていくことは何にもプラスにはならないんだ。


じゃあ、あなたたちにできることは何なの?

それは簡単。

「未来を切り拓く力をつける」こと。

そう。「勉強だ。」

こんな状況だから、学べないんじゃない。

こんな状況だからこそ学ぶんだ!


「大変だったね。」と誰かに言われた時、


「うん。でもね。あのつらい経験のおかげで、自分は変われたんだ。みんなで乗り越えることの大切さを学べたんだ。」

そう笑って、言えるぐらいの力をつけるんだ。




多分こんなことを坂内さんは語ったと記憶しています。

隣では支援物資が行き交い、

スクリーニング検査が行われているようなざわついた場所で、子ども達は真剣に話を聞いていました。

その語りでさっきまで、投げやりだったように感じた子ども達の表情が引き締まったのです。


その時からでした。

私が「教師にしかできないことってなんだろう?」

と心の中で問い始めたのは。



「かわいそうだね。」「つらいね。」

そう受け止めてあげることも教師には大切な力でしょう。

でも、目的をもてずにいる子ども達に

「それではだめだ。お前たちの進むべき道はこっちだ!」

と指差して導くのも教師にとって大切なの力なのではないか?と。


当時のことをさらに詳しく知りたい方はこちらもぜひ。

http://manabitudukeru.g.hatena.ne.jp/furu-t/20110330

http://manabitudukeru.g.hatena.ne.jp/furu-t/20110331





子ども達は本当によく学びました。

教材も、学習用具も満足にそろっていない。

そんな環境の中で、互いに教えあい、学び合い、支え合いながら学びを深めていきました。


人は目的を見失うと歩みを止めてしまう。

でも、目的が心に刻まれれば、再び歩みを進めていくことができるのだ

強くそう思いました。


自分で歩みを進めていく。

そのためには「目的」を心に定めていきたいものですね。



さて、さて少し長くなってしまいました。

こんなわけで、自分は「目的」を大切にしたいと考えるわけでございます。


震災時期のことを書いていると胸が熱くなってしまいますね。


では、次回(こそ)は主体性の続きを書いていきますね!